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横浜下町パラダイスまつりとは?
ART LAB OVA
ART LAB OVA
異文化×異世代ミックス・ジュース
「横浜下町パラダイスまつり」

毎年夏の終わりに、横浜最後の名画座シネマ・ジャック&ベティを中心に、日本、タイ、韓国、中国など近隣の人々や商店を巻き込んだアートな祭りと映画祭を同時開催。港横浜の裏通りの魅力を密やかに探求しています。
Centering around Cinema Jack & Betty, the last traditional cinema house in Yokohama, we are going to host art and film festivals involving nearby stores of Japan, Thailand, Korea and China. We explore charms of back streets in covert and look for the new feature of the downtown with multinational children.
<写真は、帽子おじさんと家族劇団「山縣家」>


●会場
  ①横浜パラダイス会館(シネマ・ジャック&ベティ1階)
②横浜市中区若葉町界隈

●主催
  ART LAB OVA
アートラボ・オーバ
*アーティストがへんてこかわいいことをしているプロジェクト

●共催
シネマ・ジャック&ベティ
*横浜最後の名画座とミニシアターをもつまちの映画館


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2011年01月27日

★ザキの赤灯台「ピアゴ」【伊勢佐木町|スーパー】

伊勢佐木3丁目にあるスーパー「ピアゴ」は、2009年まで「ユニー」という名前で、なんのへんてつもない、寂れた感じの地域のスーパーマーケットだ。

ところが、終戦直後の長者町に育ち、米軍の接収解除後の若葉町で、コーヒーショップを営んでいた「ミスター若葉町」にインタビューをしたときに、あのなんてことない「ピアゴ」が、あの有名な「ザキの三大百貨店」のひとつ赤灯台の松喜屋の建物そのままを使っていると聞いてびっくりした。

米軍接収まで長者町9丁目で、ブリキ屋を営んでいたヅの大叔母の家に、戦時中しゅっちゅうひとりで遊びに行っていた当時小学生であったヅの父も、赤灯台(当時、屋上に赤い灯台を模したものが設置されていたらしい)には、よく遊びにいったとか。
*ちなみに、当時、港にも本当の「赤灯台」があり、やはり「赤灯台」と呼ばれて親しまれていたようだ。

とはいえ、松喜屋が、ほていやに変わったのは、1968年(昭和43年)ころのことらしいので、当時の赤灯台とはいえ、60年代の建築物じゃないかと想像する。
*今度、定礎石を探してみよう

Photomemo
▲現在最上階は、リサイクルショップ。
その踊り場には、ただのスーパーにしてはちょっとこった意匠。

ミスター若葉町によると、戦後の松喜屋は百貨店とはいえ、1階のメイン売り場にボーイスカウトグッズがあるなど、常に客はなくガラガラだったという。
屋上では、ペットが販売されていたとか。

その後、スーパーになったとき、従業員もそのまま働くことができたのに、「百貨店でなくてはいや。」ということで、ほとんどの人が辞めてしまったらしい。

最近、横浜パラダイス会館でだす喫茶の「マサラ・チャイ」用のタカナシの低温殺菌牛乳を購入するために、しばしば「ピアゴ」に通っている。
本日、少し時間があったので、久しぶりに最上階までいって、階段でおりてみた。

するとなんと、ほかのフロアーは全部リノリウムなのに、4階の床だけ、すごくレトロな木製だった!

Photomemo
▲この写真、ネコ缶が写っていなかったらなんの写真かわからないかもしれない。

昭和20年代の「赤灯台」のことを詳しく書いてあるブログ発見!
なんと伊勢佐木町「ジョンジョン」のマスターのブログでした。
http://johnjohn.jp/blog/jb/master/archives/2008/01/post-16.php

<三丁目には、現在「ユニー」の「赤灯台」と
愛称で呼ばれた「まつきや」が在って、
屋上に遊園地があり、
愛称の基である「赤灯台」が立っていて、
人が乗れる飛行機が4台程廻っており
乗っていて伊勢佐木町の真上に出る時は
少し怖かったのを覚えています。

確か此処のエスカレータは野沢屋や松屋より
早かったような気がします。>


▼ピアゴ イセザキ店
所在地:横浜市中区伊勢佐木町3-105
電話番号:045-261-1551
営業時間:10:00~20:00 
http://www.uny.co.jp/shop/183/index.html



  

2011年01月27日

★レトロなお店「荒井黒板製作所」【曙町|黒板屋】

桜木町から戸塚行きのバスに乗るたびに、阪東橋あたりの鎌倉街道沿いに気になるお店が何軒かある。
そのひとつが、「荒井黒板製作所」。

今や、テレビ番組「トゥナイト」全盛だったバブルのころから、ソープ街として有名な曙町にあって、木枠のガラスの引き戸がやけにレトロな黒板屋さん。

Photomemo



黒板なんてめったに購入する機会もないので、今まで訪れたこともなかったが、今回、横浜パラダイス会館に伝言板を設置するために、小売してくれるかも不安だったが、はじめてガラガラと引き戸を開けてみた。

中は、古い木製の床(今風にいえばフローリングだけど…)で、旧式の石油ストーブが、真ん中にデンとある。

奥からでてきたのは、ロマンスグレーの優しそうなおじさま。
ふだんは、近隣の学校に黒板を卸しているということで、いかにも小売には慣れていない感じだが、ていねいに対応してくれる。

実際の値段は、見積もりをお願いしないと出てこないらしいが、カタログにある「目安の値段」は、ネットで、検索した値段の軽く倍以上…。
これは、たぶん、職人さんが、日本人か、海外かの差なのだろう。
地域のこと、日本のことを考えたら、安い買い物…と、いいたいところだが…。
野菜だったら、迷わず国産購入しますが、こういうときこそ、完璧に自分が試されている気がしますね…。


昭和43年1968年創業。
黒板屋さんって珍しいけど、横浜にはもう一軒あるらしい。
*検索したら、保土ヶ谷区和田に鳥海黒板製作所があった。
黒板屋さんとおじさまの雰囲気にすっかり癒され、外に出ると、夕日に照らされた「ガラス屋さん」など、曙町に、何軒か職人の店があったことに気づく。


そういえば、以前、誰かが、「曙町あたりも昔は、風俗の店は表通りになんか出てなかったんだ。全部親不孝通りとか、裏道にしかなかったんだよ。」といっていたのを思い出した。

そして、若葉町も戦前は、「職人の町だったんだよ」って、若葉町の会長さん=畳屋さんが、いってたっけ。




  

2011年01月22日

★まるで中国「騰達」【若葉町|中国物産店+ネカフェ】

シネマ・ジャック&ベティ1階にある「騰達」。
2年ほど前まで、ちがうオーナーで、ネカフェが中心だった。
今は、手前の中国物産コーナーも、狭いながらも商品が豊富。
*ちなみに、このとき、一晩で、オーナーチェンジしてしまったので、前の店がためていた某会費を徴収できなかったということがあったらしい…。

Photomemo

「中国のネットカフェ」といえば、なぜか、怖いイメージがあったのだが、北京在住のアーティストグループに若葉町を案内したとき、薄暗くてきれいとはいえない空間で、黙々とネットをやっている様子に、「これすごい普通。ただみんなネットゲームしているだけでしょ。安いからあなたも使ってみれば?」といわれて、びっくり。
逆に、日本が、どこもかしこも、きれいすぎるんだなきっと。

それから、時々お店にいっては、へんなドリンクや食べ物を買ってみたりしている。

最近は、若葉町のお花屋さんのビルにあったタイレストラン「アユタヤ」が撤退後のテナントにも進出。
小学生と2歳にならないくらいのこども二人を抱えた若夫婦が、24時間営業の二店舗を切り盛りするため、朝も夜も、横浜パラダイス会館の前を行ったり来たりしているのが、まるで、家族ドラマを見ているみたいでおもしろい。

今回のオススメへなちょこ中国B級グルメは、
「とっても、あまんじる!」と、「?しじねぺ好の滋味すだべぜへ」

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中国ドリンク「酸梅湯」。「とっても、あまんじる!」。
なぜか強く断言しております。
284902


Photomemo
中国スーパーでみつけた「キャプテン翼のサンザシ飴」(たぶん)。キャッチコピーは「?しじねぺ好の滋味すだべぜへ」。難しすぎる〜。飴の包装ひとつひとつにこのコピーが…。
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▼中国物産・網吧「騰達」
横浜市中区若葉町3-51-3




今回購入した商品は、以下の企画にオーバのスズキクリが「アジアンB級フードコーディネーター」として参加したからでした。

▼Asia Interactive Research 中間発表 vol.01
〜国や時代の枠組みを疑って芸能を観察する試み〜

アーティストがある作品の手法を見出す時の潜在的な力をリサーチによって高めることができると思った。物事の記号的な認識を解体し、自分のウチにある欲求に方法を掴ませ、可能性の幅を広げることができる。なので「Asia Interactive Research」ということを始動しようと思っている。

Researcher / 手塚夏子 神村恵 高嶋晋一 大澤寅雄 萩原雄太 奥村雄樹 若林里枝 小口美緒 白銀 尊 スズキクリ

2011年1月22日(土)14:00〜21:00 @ 森下スタジオ






  

Posted by ART LAB OVA at 03:26Comments(0)・横浜で海外旅行

2011年01月06日

★歓楽街の喫茶店「和良比」【長者町|喫茶】

正月に実家に戻り、1年ぶりに父の話を聞くうちに、昭和20年5月29日の横浜大空襲で焼け出されるまで、ヅの大叔母一家が住んでいたという長者町9丁目の家の場所が特定できた。
*ヅの父方の祖父(明治22年1889年生)の姉である大叔母(明治19年1886年生)には、ヅもこどものころ、よく遊んでもらい大好きなおばあさんだった。

戦前の横浜の地図と、グーグルマップで照合して、その場所に立ち寄ってみると、なんと、その家は、ヅの友人知人たちが利用、居住しているアートスペースになっている場所だった。

Photomemo
▲長者町9丁目の元大叔母一家の家があった場所。
 長者町といっても、イメージ的には、福富町。
 周囲は、パチンコ屋やサウナやスナックばかり。
 大叔父とその息子たちは、この場所で、たぶん関東大震災後~昭和20年5月まで、銅壺屋=ブリキ屋=板金屋を営んでいた。
 *大叔父は戦前に亡くなっています。
  昭和15年小学生になったヅの父は、昭和19年4月に学童疎開に出るまで、大森海岸の自宅からここまで、ひとりで何度も遊びにきて、泊まって帰ったという。
  昼食後に一家と遊びにいくのは、野澤屋(先日なくなった伊勢佐木の松坂屋)か、赤灯台と呼ばれた百貨店松喜屋(現ピアゴ)だったよう。
 その後小学生6年となった父が、昭和20年5月~6月に、疎開先だった静岡が危険になったので、東北の土沢に移動する際に見た横浜は、まだ、焦土がくすぶっていたそうなので、それは5月30日から2~3日以内だったのでしょうか。
 戦後、この辺りも米軍に接収されたようで、大叔母一家は、野毛山プールのほうに移動。
 そこは、一間しかない小さな家だったので、父はもう泊りにはいけなくなったらしい。


▼歓楽街にある昭和の喫茶店「和良比(わらび)」

元大叔母家のとなりは、小さなスーパー(韓国系?)。
そのまたとなりは小さな喫茶店。
以前から気になっていた店だったので、この機会に入ってみた。

Photomemo
長者町8丁目にある喫茶和良比(わらび)。
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しかし、もともとは昭和39年ころに創業した喫茶店らしいが、今いるおじさんとおばさんは、昭和49年1974年からやっているという。

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▲たぶん、1974年当時からの内装

店の一番奥の一角は、テーブルといすの代わりにベビーベッドが設置され、推定2歳の孫コーナーになっている。
店のおばさんたちは、よちよち歩きで、片言をしゃべる孫の世話に夢中w。

Photomemo
喫茶和良比(わらび)のカレーライス600円。いわゆるビーフカレー。
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Photomemo
ナポリタン600円。フォークでなく、割り箸がポイント。かなりソフト麺ですw。でもタマネギ、ピーマン新鮮でおいしかった。
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▼和良比
横浜市中区長者町8-136

さすが福富町のど真ん中。
朝9時から夜9時まで営業。
日曜定休。

この辺りには、なかなか見えにくい小さな喫茶店がまだけっこうあるので、ぜひ、制覇してみたい!




和良比 喫茶店 / 日ノ出町駅伊勢佐木長者町駅桜木町駅

夜総合点★★☆☆☆ 2.5
昼総合点★★☆☆☆ 2.5