2010年02月25日
★「浦田琴恵+中山亜美+山中カメラのわくわくトーク」報告1
2010年2月24日、急きょ開催した、「浦田琴恵と中山亜美のわくわくトーク@AR T LAB OVA」に、山中カメラも参加。
浦田琴恵、中山亜美、山中カメラ。
この3人の出会いは、取手アートプロジェクト(TAP)2006。
その年のTAPには、浅井裕介、淀川テクニック、宮田篤など、現在大活躍中の若手アーティスト が大量参加していた。
とくに、野村誠によって選出されたアーティストたちは、プロジェクトで申請していたに も関わらず、参加者同志のコラボレーションをしなさいとの指令をうけ、アーティストも 事務局も、大混乱だったという裏話。
そして、浦田琴恵は、この1ヵ月後に、桜島に移り住み、「桜島プロジェクト」を手がけ 、「わくわく混浴アパートメント」へとつながるのだ。
そしてトークは明け方まで続く…。
★「浦田琴恵+中山亜美+山中カメラのわくわくトーク」報告2へつづく
http://downtownart.hama1.jp/e822981.html
▼仕掛けあいプロジェクト「あーだ・こーだ・けーだ」
http://d.hatena.ne.jp/tap_adakodakeda/
▼TRIDE ARTPROJECT2006
「一人前のいたずら―仕掛けられた取手」
http://www.toride-ap.gr.jp/2006/
▼SA・KURA・JIMAプロジェクト2007
http://artkazan.exblog.jp/
▼わくわく混浴アパートメント
http://onsenwkwk.exblog.jp/
++++++++++++++
▼浦田琴恵と中山亜美のわくわくトーク@ART LAB OVA
別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」国内展「わくわく混浴アパートメ ント」コーディネーターとして、オンボロ下宿屋を、若手アーティストの情熱が渦巻く場 としてよみがえらせた浦田琴恵。
いまや、横浜寿町、佐賀など、日本全国からお呼びがかかる彼女は、廃屋の、もしくは地 域とアートのジャンヌ・ダルクなのか?
縁もゆかりもない桜島に居住しながらの日常生活も含め、現在彼女の抱えるプロジェクト などから、夢と不安に満ち満ちた乙女心をぶっちゃけトークしてもらいましょう。
取手アートプロジェクトや別府を一緒にやってた中山亜美ちゃん(アートマネージャー、 山中カメラのカメラシスターズ001)も参加します!
・日時 2010年2月24日(水)
19:30~(開場19:00)
・会場 ART LAB OVA13坪のアートセンター
横浜市中区桜木町3-13大島ビル5階
(JR地下鉄桜木町駅徒歩3分|紅葉橋交差点角|宮崎地鶏ビル)
・料金 1000円お茶+白米付き
*おかず持ってきてくれた人500円引き
*手作りはもちろん近所の名物おかずなど大歓迎。
・予約 1)名前、2)職業、3)参加動機、4)おかずの有無を記載して以下まで。
*オーバの知り合いは1)と4)だけ明記してください。
artlabova★dk.pdx.ne.jp(★→@)
▼浦田琴恵 URATA KOTOE うらたことえ
アーティスト。1979年静岡県生まれ。多摩美術大学情報デザイン学科卒。2007年 より桜島在住。
火山をテーマにしたインスタレーションや、廃業した温泉ホテルや空き家を使ったプロジ ェクト、コスプレ写真、九州のアートスペースを巡る旅のプロジェクト、人の家の玄関を借りて行う「玄関コンサ ート」、公民館講座の講師など、ジャンルにとらわれない様々な活動を行なう。
http://kotoe.ifdef.jp/
浦田琴恵、中山亜美、山中カメラ。
この3人の出会いは、取手アートプロジェクト(TAP)2006。
その年のTAPには、浅井裕介、淀川テクニック、宮田篤など、現在大活躍中の若手アーティスト が大量参加していた。
とくに、野村誠によって選出されたアーティストたちは、プロジェクトで申請していたに も関わらず、参加者同志のコラボレーションをしなさいとの指令をうけ、アーティストも 事務局も、大混乱だったという裏話。
そして、浦田琴恵は、この1ヵ月後に、桜島に移り住み、「桜島プロジェクト」を手がけ 、「わくわく混浴アパートメント」へとつながるのだ。
そしてトークは明け方まで続く…。
★「浦田琴恵+中山亜美+山中カメラのわくわくトーク」報告2へつづく
http://downtownart.hama1.jp/e822981.html
▼仕掛けあいプロジェクト「あーだ・こーだ・けーだ」
http://d.hatena.ne.jp/tap_adakodakeda/
▼TRIDE ARTPROJECT2006
「一人前のいたずら―仕掛けられた取手」
http://www.toride-ap.gr.jp/2006/
▼SA・KURA・JIMAプロジェクト2007
http://artkazan.exblog.jp/
▼わくわく混浴アパートメント
http://onsenwkwk.exblog.jp/
++++++++++++++
▼浦田琴恵と中山亜美のわくわくトーク@ART LAB OVA
別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」国内展「わくわく混浴アパートメ ント」コーディネーターとして、オンボロ下宿屋を、若手アーティストの情熱が渦巻く場 としてよみがえらせた浦田琴恵。
いまや、横浜寿町、佐賀など、日本全国からお呼びがかかる彼女は、廃屋の、もしくは地 域とアートのジャンヌ・ダルクなのか?
縁もゆかりもない桜島に居住しながらの日常生活も含め、現在彼女の抱えるプロジェクト などから、夢と不安に満ち満ちた乙女心をぶっちゃけトークしてもらいましょう。
取手アートプロジェクトや別府を一緒にやってた中山亜美ちゃん(アートマネージャー、 山中カメラのカメラシスターズ001)も参加します!
・日時 2010年2月24日(水)
19:30~(開場19:00)
・会場 ART LAB OVA13坪のアートセンター
横浜市中区桜木町3-13大島ビル5階
(JR地下鉄桜木町駅徒歩3分|紅葉橋交差点角|宮崎地鶏ビル)
・料金 1000円お茶+白米付き
*おかず持ってきてくれた人500円引き
*手作りはもちろん近所の名物おかずなど大歓迎。
・予約 1)名前、2)職業、3)参加動機、4)おかずの有無を記載して以下まで。
*オーバの知り合いは1)と4)だけ明記してください。
artlabova★dk.pdx.ne.jp(★→@)
▼浦田琴恵 URATA KOTOE うらたことえ
アーティスト。1979年静岡県生まれ。多摩美術大学情報デザイン学科卒。2007年 より桜島在住。
火山をテーマにしたインスタレーションや、廃業した温泉ホテルや空き家を使ったプロジ ェクト、コスプレ写真、九州のアートスペースを巡る旅のプロジェクト、人の家の玄関を借りて行う「玄関コンサ ート」、公民館講座の講師など、ジャンルにとらわれない様々な活動を行なう。
http://kotoe.ifdef.jp/
2010年02月22日
★カマンメディアセンター原田麻以さんからの返信
こんな深夜に、忙しい中、カマンメディアセンターの原田麻以さんから、先日のブログの返事がきた。
横浜下町パラダイスまつりブログ
★釜ヶ崎カマンメディアセンター原田麻以インタビュー
http://downtownart.hama1.jp/e821373.html
「表現の他者性」というところに関するメールだ。
今メールの一部について転載してもいいかどうか、確認中。
『きょうのブログに「表現の他者性」について書きました』とのお知らせもらったので、とりあえず、その一部を転載します。
+++++++++++++++
▼かまめブログ2010年2月22日 00:17)
『その傷は自分のものであったかもしれない』より一部抜粋
http://www.kama-media.org/japanese/blog/
<そこで発表されたたくさんのパフォーマンスの中で
自分を傷つけるというパフォーマンスをした人がいた
目の前で
そこでなにがなされたか 書くこともできない
その人は「リストカットをする人のきもちがわからないからやってみた」と言った
リストカット というのはさまざまな処理しきれないものが表面に現れたもののひとつ ではないかとおもい
それが別のかたちで表面にあらわれることもあるはずで だから
大切なのは表面にあらわれた行為の形式をただなぞることではなく、その根本にあるものと向き合う行為なのだとおもう
向き合い関わり、そこからなにかを立ち上げることがアートにできる行為なのだとおもう
即物的表面的な行為を表現する意外の別のアプローチがもっとあるとおもう
その自分を傷つける行為を わたしは見ることなんてできなくてずっと目を伏せていた
目をとじて なぜか、西成のまちを思い出した
なぜか なみだがとじた目の中にたまって
同時になぜこんなにもたやすく自分を傷つけるのか なんともいえないいやな気分になる
もしかしたら、傷つけないといられないなにかが、その人の中にもあったのだろうか
会場には何度もリストカットを経験している方もいたが
やはり目を伏せていた
以前、石内都さんという写真家の方の写真もわたしは目をそむけたことがある
写真は人のからだに残る治った傷跡の写真たち
痛々しく生々しいしれらをみているとからだ中が痛くうずくようなかんじで スライドショーで写真が何枚も流れていく途中見ていられなくなった
でもそのときには、目をそらしてはいけない と感じ 必死にその画面と向き合った
今日感じた感覚とはまったく別の感覚
それはその後、石内さんから話された「その傷は他者のものでありしかし、自分のものであったかもしれない」 ということばで腑に落ちた
傷は自分と切り離されたまったく別の世界のものでなく自分の延長にあり、それは他者がもちろん自分の延長にある存在であるとういことであり
傷はその人の生きた歴史であり、目をそむけたくなったり隠したりしていることが多いものだけれど、それはまぎれもない生の証で
その他者の中に自分を見ることを引き受けて撮られた写真だった
自己と他者が切り離された中から立ち上がる、自己の表現が 他者 に与えるものって
やはりないんじゃないか とおもう そもそも他者性がないのだから
もんもんと なんだかいやな想いをひきずって ココルームへ帰り
きょうこんなことがあった としゃべって そして、あっこさんつくってくれたやさいたっぷりのラーメンをたべ 落ち着く
そしてまたしごと
ココルームがあいていて たまったものを少しでもはきだせて、おいしいごはんで落ちつけて
ああ よかった ココルーム開いていてよかった とお客さんのようにおもう>
横浜下町パラダイスまつりブログ
★釜ヶ崎カマンメディアセンター原田麻以インタビュー
http://downtownart.hama1.jp/e821373.html
「表現の他者性」というところに関するメールだ。
今メールの一部について転載してもいいかどうか、確認中。
『きょうのブログに「表現の他者性」について書きました』とのお知らせもらったので、とりあえず、その一部を転載します。
+++++++++++++++
▼かまめブログ2010年2月22日 00:17)
『その傷は自分のものであったかもしれない』より一部抜粋
http://www.kama-media.org/japanese/blog/
<そこで発表されたたくさんのパフォーマンスの中で
自分を傷つけるというパフォーマンスをした人がいた
目の前で
そこでなにがなされたか 書くこともできない
その人は「リストカットをする人のきもちがわからないからやってみた」と言った
リストカット というのはさまざまな処理しきれないものが表面に現れたもののひとつ ではないかとおもい
それが別のかたちで表面にあらわれることもあるはずで だから
大切なのは表面にあらわれた行為の形式をただなぞることではなく、その根本にあるものと向き合う行為なのだとおもう
向き合い関わり、そこからなにかを立ち上げることがアートにできる行為なのだとおもう
即物的表面的な行為を表現する意外の別のアプローチがもっとあるとおもう
その自分を傷つける行為を わたしは見ることなんてできなくてずっと目を伏せていた
目をとじて なぜか、西成のまちを思い出した
なぜか なみだがとじた目の中にたまって
同時になぜこんなにもたやすく自分を傷つけるのか なんともいえないいやな気分になる
もしかしたら、傷つけないといられないなにかが、その人の中にもあったのだろうか
会場には何度もリストカットを経験している方もいたが
やはり目を伏せていた
以前、石内都さんという写真家の方の写真もわたしは目をそむけたことがある
写真は人のからだに残る治った傷跡の写真たち
痛々しく生々しいしれらをみているとからだ中が痛くうずくようなかんじで スライドショーで写真が何枚も流れていく途中見ていられなくなった
でもそのときには、目をそらしてはいけない と感じ 必死にその画面と向き合った
今日感じた感覚とはまったく別の感覚
それはその後、石内さんから話された「その傷は他者のものでありしかし、自分のものであったかもしれない」 ということばで腑に落ちた
傷は自分と切り離されたまったく別の世界のものでなく自分の延長にあり、それは他者がもちろん自分の延長にある存在であるとういことであり
傷はその人の生きた歴史であり、目をそむけたくなったり隠したりしていることが多いものだけれど、それはまぎれもない生の証で
その他者の中に自分を見ることを引き受けて撮られた写真だった
自己と他者が切り離された中から立ち上がる、自己の表現が 他者 に与えるものって
やはりないんじゃないか とおもう そもそも他者性がないのだから
もんもんと なんだかいやな想いをひきずって ココルームへ帰り
きょうこんなことがあった としゃべって そして、あっこさんつくってくれたやさいたっぷりのラーメンをたべ 落ち着く
そしてまたしごと
ココルームがあいていて たまったものを少しでもはきだせて、おいしいごはんで落ちつけて
ああ よかった ココルーム開いていてよかった とお客さんのようにおもう>
2010年02月20日
★釜ヶ崎カマンメディアセンター原田麻以インタビュー
▼釜ヶ崎カマンメディアセンター(ココルーム)原田麻以インタビューその1
▼釜ヶ崎カマンメディアセンター(ココルーム)原田麻以インタビューその2
もともと、その傾向はあったのだが、昨年アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)に参加したせいなのか?最近、ART LAB OVAは、ココルームと連名、もしくは、いっしょに語られる機会がでてきた。
例)▼東京アートポイント計画『「コンセプト」と「関係」をつなぐ。 遠藤 水城』
http://www.bh-project.jp/artpoint/essay/091127-01.html
相手がどんな団体であっても同様に、やはり、いっしょに語られることへの違和感はある。
そこで、未だ未知の団体「ココルーム」と、「ART LAB OVA」の相違点と相似点をさぐるべく、数ヶ月前からココルームの新設メディアセンター「カマンメディアセンター」唯一無二のスタッフとして働く、原田麻以さんにインタビューを試みた。
アサヒ・アート・フェスティバル会議の合間のわずかなランチ時間に決行したものだったので、バタバタとしてしまっているが、まずは、最初の一歩ということでお許しください。
オーバ的に気になったのは、「表現には他者性が必要」という部分。
以前ココルームも、「エイブルアート・オン・ステージ」に参加していたことがあるように、しょうがいのある人の表現との関わりがあったはず。
そして、日本における「障害者アート」の文脈の多くが、知的しょうがい者の表現において語られており、イコール、「他者性の希薄さからくる”表現”の強度」もその”芸術性”の大きな要素のひとつとされている。
ココルーム代表、上田假奈代(うえだ かなよ)さんが詩という手法を用いる詩人である、ということも関係している言葉なのかもしれないが、機会があれば、そのあたりをもっと話してみたい。
そして、「表現には他者性が必要」であり、「怒鳴ることは表現ではない」とした場合、ココルームやメディアセンターは、表現を持たない人に表現を与える(伝える?)役割を積極的に担おうとしている機関なのであろうか?
たぶん、そのあたりは、ホームページを見てみれば、なにかしら、糸口があるのかもしれない。
ゆっくりとひも解いてみよう。
▼特別非営利活動法人「こえとことばとこころの部屋」(ココルーム)
http://www.cocoroom.org/
そうそう、以前、エイブルアートオンステージの企画に突然ひっぱりこまれた大友良英さんが、一番はじめに感じた違和感もそのあたりに通じていたような。
これももう一度ゆっくり読み返してみよう。
▼大友良英のJAMJAM日記「2005-09-18 知的障害者とのワークショップ」
http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20050918
<遊びは遊び、それ以上でも以下でもなく、それでいいではないか。じゃなぜ音楽にしたがるのか? そういうことなら、空調や人の歩く音のほうがよっぽど音楽的にわたしには聴こえるし、実際そういうことを自分はやってきているわけで、別に発音元が知的障害者である必要なんてないだろう。 音楽を発見するのは聴き手のチカラだってことをいいたいなら空調で充分って話だ。 じゃ、彼等を音を出すマテリアルとして見ろ・・・ということだろうか? まさか、そんな失礼なことではあるまい。>

▼釜ヶ崎カマンメディアセンター(ココルーム)原田麻以インタビューその2
もともと、その傾向はあったのだが、昨年アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)に参加したせいなのか?最近、ART LAB OVAは、ココルームと連名、もしくは、いっしょに語られる機会がでてきた。
例)▼東京アートポイント計画『「コンセプト」と「関係」をつなぐ。 遠藤 水城』
http://www.bh-project.jp/artpoint/essay/091127-01.html
相手がどんな団体であっても同様に、やはり、いっしょに語られることへの違和感はある。
そこで、未だ未知の団体「ココルーム」と、「ART LAB OVA」の相違点と相似点をさぐるべく、数ヶ月前からココルームの新設メディアセンター「カマンメディアセンター」唯一無二のスタッフとして働く、原田麻以さんにインタビューを試みた。
アサヒ・アート・フェスティバル会議の合間のわずかなランチ時間に決行したものだったので、バタバタとしてしまっているが、まずは、最初の一歩ということでお許しください。
オーバ的に気になったのは、「表現には他者性が必要」という部分。
以前ココルームも、「エイブルアート・オン・ステージ」に参加していたことがあるように、しょうがいのある人の表現との関わりがあったはず。
そして、日本における「障害者アート」の文脈の多くが、知的しょうがい者の表現において語られており、イコール、「他者性の希薄さからくる”表現”の強度」もその”芸術性”の大きな要素のひとつとされている。
ココルーム代表、上田假奈代(うえだ かなよ)さんが詩という手法を用いる詩人である、ということも関係している言葉なのかもしれないが、機会があれば、そのあたりをもっと話してみたい。
そして、「表現には他者性が必要」であり、「怒鳴ることは表現ではない」とした場合、ココルームやメディアセンターは、表現を持たない人に表現を与える(伝える?)役割を積極的に担おうとしている機関なのであろうか?
たぶん、そのあたりは、ホームページを見てみれば、なにかしら、糸口があるのかもしれない。
ゆっくりとひも解いてみよう。
▼特別非営利活動法人「こえとことばとこころの部屋」(ココルーム)
http://www.cocoroom.org/
そうそう、以前、エイブルアートオンステージの企画に突然ひっぱりこまれた大友良英さんが、一番はじめに感じた違和感もそのあたりに通じていたような。
これももう一度ゆっくり読み返してみよう。
▼大友良英のJAMJAM日記「2005-09-18 知的障害者とのワークショップ」
http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20050918
<遊びは遊び、それ以上でも以下でもなく、それでいいではないか。じゃなぜ音楽にしたがるのか? そういうことなら、空調や人の歩く音のほうがよっぽど音楽的にわたしには聴こえるし、実際そういうことを自分はやってきているわけで、別に発音元が知的障害者である必要なんてないだろう。 音楽を発見するのは聴き手のチカラだってことをいいたいなら空調で充分って話だ。 じゃ、彼等を音を出すマテリアルとして見ろ・・・ということだろうか? まさか、そんな失礼なことではあるまい。>
