2010年02月20日
★釜ヶ崎カマンメディアセンター原田麻以インタビュー
▼釜ヶ崎カマンメディアセンター(ココルーム)原田麻以インタビューその1
▼釜ヶ崎カマンメディアセンター(ココルーム)原田麻以インタビューその2
もともと、その傾向はあったのだが、昨年アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)に参加したせいなのか?最近、ART LAB OVAは、ココルームと連名、もしくは、いっしょに語られる機会がでてきた。
例)▼東京アートポイント計画『「コンセプト」と「関係」をつなぐ。 遠藤 水城』
http://www.bh-project.jp/artpoint/essay/091127-01.html
相手がどんな団体であっても同様に、やはり、いっしょに語られることへの違和感はある。
そこで、未だ未知の団体「ココルーム」と、「ART LAB OVA」の相違点と相似点をさぐるべく、数ヶ月前からココルームの新設メディアセンター「カマンメディアセンター」唯一無二のスタッフとして働く、原田麻以さんにインタビューを試みた。
アサヒ・アート・フェスティバル会議の合間のわずかなランチ時間に決行したものだったので、バタバタとしてしまっているが、まずは、最初の一歩ということでお許しください。
オーバ的に気になったのは、「表現には他者性が必要」という部分。
以前ココルームも、「エイブルアート・オン・ステージ」に参加していたことがあるように、しょうがいのある人の表現との関わりがあったはず。
そして、日本における「障害者アート」の文脈の多くが、知的しょうがい者の表現において語られており、イコール、「他者性の希薄さからくる”表現”の強度」もその”芸術性”の大きな要素のひとつとされている。
ココルーム代表、上田假奈代(うえだ かなよ)さんが詩という手法を用いる詩人である、ということも関係している言葉なのかもしれないが、機会があれば、そのあたりをもっと話してみたい。
そして、「表現には他者性が必要」であり、「怒鳴ることは表現ではない」とした場合、ココルームやメディアセンターは、表現を持たない人に表現を与える(伝える?)役割を積極的に担おうとしている機関なのであろうか?
たぶん、そのあたりは、ホームページを見てみれば、なにかしら、糸口があるのかもしれない。
ゆっくりとひも解いてみよう。
▼特別非営利活動法人「こえとことばとこころの部屋」(ココルーム)
http://www.cocoroom.org/
そうそう、以前、エイブルアートオンステージの企画に突然ひっぱりこまれた大友良英さんが、一番はじめに感じた違和感もそのあたりに通じていたような。
これももう一度ゆっくり読み返してみよう。
▼大友良英のJAMJAM日記「2005-09-18 知的障害者とのワークショップ」
http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20050918
<遊びは遊び、それ以上でも以下でもなく、それでいいではないか。じゃなぜ音楽にしたがるのか? そういうことなら、空調や人の歩く音のほうがよっぽど音楽的にわたしには聴こえるし、実際そういうことを自分はやってきているわけで、別に発音元が知的障害者である必要なんてないだろう。 音楽を発見するのは聴き手のチカラだってことをいいたいなら空調で充分って話だ。 じゃ、彼等を音を出すマテリアルとして見ろ・・・ということだろうか? まさか、そんな失礼なことではあるまい。>

▼釜ヶ崎カマンメディアセンター(ココルーム)原田麻以インタビューその2
もともと、その傾向はあったのだが、昨年アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)に参加したせいなのか?最近、ART LAB OVAは、ココルームと連名、もしくは、いっしょに語られる機会がでてきた。
例)▼東京アートポイント計画『「コンセプト」と「関係」をつなぐ。 遠藤 水城』
http://www.bh-project.jp/artpoint/essay/091127-01.html
相手がどんな団体であっても同様に、やはり、いっしょに語られることへの違和感はある。
そこで、未だ未知の団体「ココルーム」と、「ART LAB OVA」の相違点と相似点をさぐるべく、数ヶ月前からココルームの新設メディアセンター「カマンメディアセンター」唯一無二のスタッフとして働く、原田麻以さんにインタビューを試みた。
アサヒ・アート・フェスティバル会議の合間のわずかなランチ時間に決行したものだったので、バタバタとしてしまっているが、まずは、最初の一歩ということでお許しください。
オーバ的に気になったのは、「表現には他者性が必要」という部分。
以前ココルームも、「エイブルアート・オン・ステージ」に参加していたことがあるように、しょうがいのある人の表現との関わりがあったはず。
そして、日本における「障害者アート」の文脈の多くが、知的しょうがい者の表現において語られており、イコール、「他者性の希薄さからくる”表現”の強度」もその”芸術性”の大きな要素のひとつとされている。
ココルーム代表、上田假奈代(うえだ かなよ)さんが詩という手法を用いる詩人である、ということも関係している言葉なのかもしれないが、機会があれば、そのあたりをもっと話してみたい。
そして、「表現には他者性が必要」であり、「怒鳴ることは表現ではない」とした場合、ココルームやメディアセンターは、表現を持たない人に表現を与える(伝える?)役割を積極的に担おうとしている機関なのであろうか?
たぶん、そのあたりは、ホームページを見てみれば、なにかしら、糸口があるのかもしれない。
ゆっくりとひも解いてみよう。
▼特別非営利活動法人「こえとことばとこころの部屋」(ココルーム)
http://www.cocoroom.org/
そうそう、以前、エイブルアートオンステージの企画に突然ひっぱりこまれた大友良英さんが、一番はじめに感じた違和感もそのあたりに通じていたような。
これももう一度ゆっくり読み返してみよう。
▼大友良英のJAMJAM日記「2005-09-18 知的障害者とのワークショップ」
http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20050918
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★「沖縄コザの記憶から横浜若葉町を想う」報告会お知らせ
★アサダワタルインタビュー「住み開き」と「著作権」
★いちむらみさこin宮下公園「自殺者3万人の墓」
★小川てつオインタビュー@宮下公園2010/04/19
★いちむらみさこの宮下公園ガイドツアー2010/04/19
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Posted by ART LAB OVA at 01:32│Comments(0)
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★カマメメディアセンター原田麻以さんからの返信【横浜下町パラダイスまつり*よこはま若葉町多文化映画祭】at 2010年02月22日 04:26