2009年07月20日
★食堂いもや【日ノ出町|食堂】
京浜急行日ノ出町駅と黄金町駅の間から東ヶ丘、霞ヶ丘あたりは、知る人ぞ知るディープ下町スポット。
橋と川から、坂と階段の続く丘へ。
とても横浜らしい地域です。
今回、チラシやマップの作成をおねがいしているイラストレーターの吉田しんこさんのおうちは、そんなディープな界隈、すごくステキなところにありました。

▲しんこさん宅の窓からの風景。
いろいろなお宅の裏側が垣間見ることができます。

せっかく、しばらくぶりにこの辺りに来たのだから、以前から気になっていてなかなか入る機会がなかった「食堂いもや」に入ってみることにした。
一応、「定食」というのぼりは出ているし、扉も開いているのだが、なんだか、営業しているように見えない不思議なたたずまい。。。
思わず、通りすがりの旅人のように、「ご飯食べられますか?」と聞いてしまう。
しかし、考えてみると、オーバが、見た目重視で、入ってみたい!と思う店は、「ご飯食べられますか?」と聞かないと入りにくい店が多い。
煮物(さといも+たこ)定食、焼き魚定食(鯵、さば、さんま)、それぞれ600円。
古い店だけあって物が多くて雑然としている。
だけど、想像とちがって、カウンターまわりはとても清潔だった。
鯖を頼むと、おばあちゃんは、目の前のガスコンロで、1枚ずつ、箸でひっくり返しながら焼いてくれた。
昔は、きっと、練炭とかで焼いていたのだろうなあ。
ご飯は柔らかめで、つやつや。
どんぶりに入ったお味噌汁は、あさり汁。

▲入ってすぐに、どかんと無造作に置かれた海がめ。
カウンターの上には、石でできた富士山の置物とサツマイモの端っこの水栽培。
創業昭和20年(1945年)。
終戦の年だ。
戦中は、長野の親戚宅に疎開していたので、かろうじて無事だったとか。
戦前は、海岸通の日本郵船の並びで、貿易商をやっていたのだが、戦争が終わって、いわゆる「関内」あたりが、GHQに接収されたので、否応なしに「関外(かんがい)」に移動させられ、今の地に移った。
いもやのおばあちゃんいわく、「ここと、ここと、ここ、どこがいいですか?と聞かれて、日ノ出町に来た。わたしが、小学校2年生のときだった」。
おばあちゃんも、本町小学校から、東小学校に転校。
もちろん、日ノ出町、黄金町あたりは、横浜大空襲で焼け野原。
土地は与えられたけど、建物はない。
土地も、大家のものなので、借りたり買ったりしなくてはならなかった。
戦後の伊勢佐木町は、好景気で、東ヶ丘には、伊勢佐木でお店を出している商人たちが、たくさん住んでいた。
この辺りの商店街は、東ヶ丘に住む奥様御用達のお店だったようだ。
「若葉町が米軍の飛行場だったとき、MP(Military police憲兵)の目を盗んでは、滑走路を走り抜けて、伊勢佐木町に遊びにいったものよ」。
飛行場といっても、小さな偵察機が10機ほどある程度で、1日3回くらいしか、飛行しなかったので、みんな隙をみては、囲いの隙間をくぐって、すり抜け、当時50円だった映画をみたり、買い物をしたりして仲間と遊んだという。
そのころ、このおばあちゃんのおこずかいは、1日10円。
「じゃあ、1週間に1本みれたんですね?」としんこさんがいうと、
「そんなあ、だって飴玉もほしいし、黄金バットの紙芝居も見たいし。なかなかたまらないのよ」。
先日、ミスター若葉町もいっていたけれど、当時の伊勢佐木町は、「物品を購入する街」=デパートなどのお店と映画館の街で、その裏通りに、飲食店があったらしい。
「伊勢佐木町も、今じゃ、飲食ばっかりになっちゃったけどね」
と、おばあちゃんもいっていました。

▲「御大典記念」と書かれたたくあんのお皿は、今上天皇(きんじょうてんのう)即位の記念として、伊勢山皇大神宮でいただいたものだそうです。
最後に「いもや」というお店の由来を聞いた。
「昔は食堂と焼き芋をやっていたから」。
おー!当時は、テイクアウトの焼き芋もやっていたのかあ。
金曜日の午前中は、通院しているので、休むけど、それ以外は毎日、夜10時までやっているそうです。
おばあちゃん、また行きます!
▼横浜大空襲の話抜きには、横浜の下町の歴史を語れません。
参考リンク:
■横浜空襲の記録「東(あづま)小学校 」
■横浜空襲の記録「黄金町の惨劇 」
しんこさん宅に戻って、「チラシ校正地獄」に入る前に、おとなりの大黒屋さんでデザートとして、くずもちを本物の!桜の葉っぱで巻いた「くず桜」を買いました。
こちらは、創業40年ほどだということです。

▲裏道に入ったところに、堂々とした構えの大黒屋さん。
その奥に、ちんまりと寄り添うようにたっているのが、いもやさん。
*この道を上っていくと、東小学校にたどり着く。
横浜空襲当時、伊勢佐木方面から逃げてきた人々が、この道の途中でたくさん息絶えた道でもある。
▼横浜下町パラダイスまつり*よこはま若葉町多文化映画祭
●会期 2009年8月22日(土)〜8月30日(日)
(映画館での映画祭は8月28日(金)まで)
●会場 1)シネマ・ジャック&ベティ
シネマ・ジャック&ベティ・カフェ
横浜市中区若葉町3-51
2)横浜市中区若葉町界隈の商店
●主催 ART LAB OVAアートラボ・オーバ
*アーティストがへんてこかわいいことをしているプロジェクト
http://artlabova.org
よこはま若葉町多文化映画祭実行委員会
●共催 シネマ・ジャック&ベティ
*横浜最後の名画座とミニシアターをもつまちの映画館
http://www.jackandbetty.net/

橋と川から、坂と階段の続く丘へ。
とても横浜らしい地域です。
今回、チラシやマップの作成をおねがいしているイラストレーターの吉田しんこさんのおうちは、そんなディープな界隈、すごくステキなところにありました。

▲しんこさん宅の窓からの風景。
いろいろなお宅の裏側が垣間見ることができます。

せっかく、しばらくぶりにこの辺りに来たのだから、以前から気になっていてなかなか入る機会がなかった「食堂いもや」に入ってみることにした。
一応、「定食」というのぼりは出ているし、扉も開いているのだが、なんだか、営業しているように見えない不思議なたたずまい。。。
思わず、通りすがりの旅人のように、「ご飯食べられますか?」と聞いてしまう。
しかし、考えてみると、オーバが、見た目重視で、入ってみたい!と思う店は、「ご飯食べられますか?」と聞かないと入りにくい店が多い。
煮物(さといも+たこ)定食、焼き魚定食(鯵、さば、さんま)、それぞれ600円。
古い店だけあって物が多くて雑然としている。
だけど、想像とちがって、カウンターまわりはとても清潔だった。
鯖を頼むと、おばあちゃんは、目の前のガスコンロで、1枚ずつ、箸でひっくり返しながら焼いてくれた。
昔は、きっと、練炭とかで焼いていたのだろうなあ。
ご飯は柔らかめで、つやつや。
どんぶりに入ったお味噌汁は、あさり汁。

▲入ってすぐに、どかんと無造作に置かれた海がめ。
カウンターの上には、石でできた富士山の置物とサツマイモの端っこの水栽培。
創業昭和20年(1945年)。
終戦の年だ。
戦中は、長野の親戚宅に疎開していたので、かろうじて無事だったとか。
戦前は、海岸通の日本郵船の並びで、貿易商をやっていたのだが、戦争が終わって、いわゆる「関内」あたりが、GHQに接収されたので、否応なしに「関外(かんがい)」に移動させられ、今の地に移った。
いもやのおばあちゃんいわく、「ここと、ここと、ここ、どこがいいですか?と聞かれて、日ノ出町に来た。わたしが、小学校2年生のときだった」。
おばあちゃんも、本町小学校から、東小学校に転校。
もちろん、日ノ出町、黄金町あたりは、横浜大空襲で焼け野原。
土地は与えられたけど、建物はない。
土地も、大家のものなので、借りたり買ったりしなくてはならなかった。
戦後の伊勢佐木町は、好景気で、東ヶ丘には、伊勢佐木でお店を出している商人たちが、たくさん住んでいた。
この辺りの商店街は、東ヶ丘に住む奥様御用達のお店だったようだ。
「若葉町が米軍の飛行場だったとき、MP(Military police憲兵)の目を盗んでは、滑走路を走り抜けて、伊勢佐木町に遊びにいったものよ」。
飛行場といっても、小さな偵察機が10機ほどある程度で、1日3回くらいしか、飛行しなかったので、みんな隙をみては、囲いの隙間をくぐって、すり抜け、当時50円だった映画をみたり、買い物をしたりして仲間と遊んだという。
そのころ、このおばあちゃんのおこずかいは、1日10円。
「じゃあ、1週間に1本みれたんですね?」としんこさんがいうと、
「そんなあ、だって飴玉もほしいし、黄金バットの紙芝居も見たいし。なかなかたまらないのよ」。
先日、ミスター若葉町もいっていたけれど、当時の伊勢佐木町は、「物品を購入する街」=デパートなどのお店と映画館の街で、その裏通りに、飲食店があったらしい。
「伊勢佐木町も、今じゃ、飲食ばっかりになっちゃったけどね」
と、おばあちゃんもいっていました。

▲「御大典記念」と書かれたたくあんのお皿は、今上天皇(きんじょうてんのう)即位の記念として、伊勢山皇大神宮でいただいたものだそうです。
最後に「いもや」というお店の由来を聞いた。
「昔は食堂と焼き芋をやっていたから」。
おー!当時は、テイクアウトの焼き芋もやっていたのかあ。
金曜日の午前中は、通院しているので、休むけど、それ以外は毎日、夜10時までやっているそうです。
おばあちゃん、また行きます!
▼横浜大空襲の話抜きには、横浜の下町の歴史を語れません。
参考リンク:
■横浜空襲の記録「東(あづま)小学校 」
■横浜空襲の記録「黄金町の惨劇 」
しんこさん宅に戻って、「チラシ校正地獄」に入る前に、おとなりの大黒屋さんでデザートとして、くずもちを本物の!桜の葉っぱで巻いた「くず桜」を買いました。
こちらは、創業40年ほどだということです。

▲裏道に入ったところに、堂々とした構えの大黒屋さん。
その奥に、ちんまりと寄り添うようにたっているのが、いもやさん。
*この道を上っていくと、東小学校にたどり着く。
横浜空襲当時、伊勢佐木方面から逃げてきた人々が、この道の途中でたくさん息絶えた道でもある。
▼横浜下町パラダイスまつり*よこはま若葉町多文化映画祭
●会期 2009年8月22日(土)〜8月30日(日)
(映画館での映画祭は8月28日(金)まで)
●会場 1)シネマ・ジャック&ベティ
シネマ・ジャック&ベティ・カフェ
横浜市中区若葉町3-51
2)横浜市中区若葉町界隈の商店
●主催 ART LAB OVAアートラボ・オーバ
*アーティストがへんてこかわいいことをしているプロジェクト
http://artlabova.org
よこはま若葉町多文化映画祭実行委員会
●共催 シネマ・ジャック&ベティ
*横浜最後の名画座とミニシアターをもつまちの映画館
http://www.jackandbetty.net/

★韓国料理店「仁川(インチョン)」閉店【若葉町|韓国料理店】
★大和屋【横浜橋商店街|食料品店】
★創業明治15年!佐野屋菓子店【野毛町|和菓子屋】
★【若葉町|タイ料理】イヤムプシャナー電撃閉店!(T_T)
★天空苑【若葉町|中華料理】
★餃子会館ふく龍【若葉町|中華料理】
★大和屋【横浜橋商店街|食料品店】
★創業明治15年!佐野屋菓子店【野毛町|和菓子屋】
★【若葉町|タイ料理】イヤムプシャナー電撃閉店!(T_T)
★天空苑【若葉町|中華料理】
★餃子会館ふく龍【若葉町|中華料理】
Posted by ART LAB OVA at 22:59│Comments(0)
│・横浜下町グルメパラダイス